人生は私のものだと躍起になった日々
しばらくの間、その場限りで楽しめる娯楽をひたすら消費して生きていました。私です。
息子はあっという間に大きくなり、今ではなんとなく意思の疎通が取れるくらいには、おしゃべりもできるようになりました。現在1歳9ヶ月くらい。
そんな息子が夜通し寝るようになり(つまり断乳を決行したということ!)、ぽっかり夜に自分の時間ができてからというもの…それはもううれしくてうれしくて…笑
母親にはあるまじき感情なのかもしれないけど、なんていうか、やっと無理に母親になっていた自分の人生が過ごせると思った。
別に育児で無理してる気持ちはないけど、育児から離れられる時間が存在することで、久々になんの役割も担わない自分を意識することができた。
それから、しばらくやっていなかったゲームをひたすらひたすらはじめました。顔も見たことのない人たちとボイチャしながら、協力して夜な夜なゲームをして、自分でもなんだか病的だと思っていたし、夫もわりと呆れていた。笑
とにかく必死に自分の人生を取り戻そうとした。取り戻すも何も、あなたの人生はそこにあるのに。でも、妊娠と育児で、私が私でなくなってしまった感覚がはなはだしかったのです。
いや、そうだったからきっと病的に、手軽に遊ぶことに躍起になっていたんだと思う。
そんな日々を過ごして今思うのは、やっぱり私は即時消費を繰り返すゲームは向いてないということ。それでも満たされないのは、インプット、アウトプットする作業がないからだということ。そんなに躍起にならなくても、自分の人生は育児と共にあるぞ、ということだ。
なぜ今そうやって急に自分を客観視できるようになったのかというと…2人目がお腹にいるからなのです。つわりがひどく、ゲームができなくなったので強制的に足を洗った、というのが正しいかな。笑
今もまだつわりが続いてるけど、ピークは越えた気がします。それで、これまでの自分をふと思い返したということです。。
ゲームばかりして過ごした数ヶ月はほんとに楽しかったけど、一歩引いてみると、またやろうとは思わない。今は不要かも。それより、やりたいこと、やるべきことを思い出した気がする。つわりが終わったら、ひとつずつやっていきたい。
2人目さんは、大きな意味をもって絶妙なタイミングで私のお腹に宿ってくれたようで、自分の人生についてやけに考えることが増えた。いい機会をくれてありがとう。
育児をする自分も、妊娠している自分も、つわりに苦しむ自分も、家事をこなす自分も、遊ぶ自分も、あれこれ考える自分も、仕事育休中の自分も、全部自分の人生を生きている。
きっとどれかが著しく欠けるとバランスがとれなくなるんだろう。決まり事や役割で自分をがんじがらめにせず、私を気ままに生きていきたい。